DeepMindの哲学:Demis Hassabisが語るAIと現実の再定義

Google DeepMind CEOのDemis Hassabisが、AI開発を「現実世界のモデル化」から「宇宙の根源的な謎の解明」へと繋げる壮大な哲学的ビジョンを、最新のpodcast対談を基に紐解く
LLM
AI
Podcast
Author

Junichiro Iwasawa

Published

August 2, 2025

DeepMindの哲学:Demis Hassabisが語るAIと現実の再定義

先日公開されたLex Fridmanのpodcastは、Google DeepMindを率いるノーベル賞受賞者、Demis Hassabisをゲストに迎えたことで大きな話題を呼んでいる。AGI(汎用人工知能)の探求が、いかにして宇宙の根源的な謎、すなわち現実(リアリティ)そのものの性質を解き明かす試みへと繋がっているのか。Hassabis氏の壮大なビジョンが垣間見える、知的に極めて刺激的な内容であった。本稿では、その思考の核心部分を、より深く分析する。

自然に潜む「学習可能」なパターン

対談の冒頭、Hassabis氏は自身のノーベル賞受賞講演で提唱した、ある挑発的な仮説に言及する。それは「自然界に存在する、あるいは生成されうるあらゆるパターンは、古典的な学習アルゴリズムによって効率的に発見し、モデル化できる」というものだ。

AlphaFoldが解いたタンパク質の構造予測を例に考えてみよう。タンパク質が取りうる構造の組み合わせは、\(10^{300}\)通りにも及ぶ。これは宇宙に存在する原子の数よりも遥かに大きい。囲碁の盤面の可能な配置(\(10^{170}\)通り)も同様だ。これらの問題を総当たり(ブルートフォース)で解くことは、文字通り不可能である。

しかし、我々の体内ではタンパク質がミリ秒単位で正しく折り畳まれている。自然界がこの問題を「解いている」という事実こそが、Hassabis氏に「効率的な解法経路が存在するはずだ」という確信を与えた。彼によれば、自然界のシステムは進化や淘汰といったプロセスに長期間晒されることで、ランダム性を排したある種の「構造」を持つに至る。この構造、すなわちAIが探索するための道筋となる「多様体(manifold)」を学習することで、AlphaGoやAlphaFoldは計算可能な時間内で解に辿り着く。Hassabis氏はこれを「最も安定したものが生き残る(survival of the stablest)」と呼び、生命の進化だけでなく、山の形状や惑星の軌道にさえ適用される普遍的な原理だと示唆する。

この考えは、AIの能力の限界を考える上でも重要だ。例えば、巨大な数の素因数分解のような、明確な構造が見出されていない抽象的な問題は、この仮説の範疇外かもしれない。そうした問題には、あるいは量子コンピュータのような全く異なるアプローチが必要になるだろう。Hassabis氏の視点は、我々が解こうとしている問題の性質そのものを問い直す。

AIは現実世界の物理エンジンとなるか

この「学習可能性」というレンズを通して見ると、最近の生成AIの進化は新たな意味を帯びてくる。Hassabis氏が特に注目するのは、動画生成モデルVeo 3が示す驚異的な物理法則の再現性だ。かつてゲーム開発で物理エンジンを自ら書いていた彼にとって、AIが液体や光の反射、物体の質感をこれほどリアルに描き出す様は、驚き以外の何物でもない。

従来、AIが物理世界を真に理解するためには、ロボットのように身体を持って実世界で行動し、試行錯誤する経験が必要だ(身体性知能、あるいは”action in perception”)と考えられてきた。Hassabis氏自身も、かつてはその考えに近かったと認める。しかしVeo 3は、YouTubeのような膨大な動画データを「受動的に観察する」だけで、まるで子供が成長過程で身につけるような直感的物理(intuitive physics)を獲得できる可能性を力強く示した。これは、AIが世界を理解する方法について、我々の想定を覆すものだ。

Hassabis氏は、Veo 3が哲学的・意識的な意味で「理解」しているとは考えていない。しかし、「次のフレームを矛盾なく予測できる程度には、世界の力学をモデル化できている」と分析する。これは、我々が認識する「現実」そのものが、AIがリバースエンジニアリング可能な、より低次元の学習可能な構造を持っていることの強力な証左に他ならない。次のステップは、この生成された世界をインタラクティブにし、プレイヤーがその中を動き回れるようにすることだ。それはまさに、究極の「世界モデル(world model)」の始まりとなる。

P vs NP問題からビデオゲームへ

Hassabis氏の思考は、AIによる現実のモデル化から、理論計算機科学の根源的な問い、特にP vs NP問題へと自然に接続される。彼は宇宙そのものを一種の壮大な情報システムと捉えており、その観点からすれば、P vs NP問題は単なる数学のパズルではなく、宇宙の計算限界を問う物理学の未解決問題なのだ。

そしてこの壮大な問いは、彼の原点であるビデオゲーム開発への情熱と奇妙な形で結びつく。彼がキャリア初期に手掛けた『テーマパーク』や、AIクリーチャーの育成が画期的だった『ブラック&ホワイト』のように、彼の関心は常に「プレイヤーとシステムが相互作用し、独自の物語を共創する」オープンワールドにあった。しかし、当時の技術では「選択の幻想」を与えるのが限界だった。

彼が今夢見るのは、AIがプレイヤーの想像力に応え、あらゆる選択に対して動的にコンテンツと物語を生成する、真にオープンなゲーム世界だ。それは究極のシミュレーションであり、現実的な「世界モデル」の構築に他ならない。Hassabis氏は、「リアルなシミュレーションゲームを作ることと、P vs NP問題を考えることは、私の中では繋がっている」と語る。どちらも、複雑なシステムを理解し、その挙動をモデル化するという同じ挑戦だからだ。Elon Muskとの間で交わされるゲーム開発への憧憬は、単なる趣味の話ではなく、彼らの思考の核心に触れるものなのだ。

創造性の源泉、AlphaEvolve

AIは既知のパターンを学習するだけでなく、全く新しい何かを「創造」できるのだろうか。この問いに対するDeepMindの一つの答えがAlphaEvolveだ。このシステムは、LLMがアルゴリズムの候補を提案し、その上で進化的計算(Evolutionary computing)が斬新な解を発見するというハイブリッドなアプローチを取る。

これは、DeepMindの成功譚に一貫して流れるテーマの応用である。まず、対象領域の「モデル」を構築する(LLMが知識をモデル化する)。次に、そのモデルを利用して賢い「探索」を行う(進化的計算が新たな解を探す)。AlphaGoが人間の棋譜にない「神の一手(Move 37)」を発見したのも、モンテカルロ木探索という探索プロセスがあったからこそだ。

Hassabis氏は、この「モデル+探索」というフレームワークこそが、AIが未知の領域へ踏み出し、科学的発見を加速させる鍵だと考えている。かつての進化的計算は、新しい創発的な特性を生み出す点で限界があった。しかし、強力な基盤モデルと組み合わせることで、その限界を突破できるかもしれない。それは、40億年の時間をかけて単純なバクテリアから今日の多様な生命を生み出した、自然界の進化という壮大な計算プロセスを、我々がようやくデジタル空間で再現し始めたことを意味している。

AGIは宇宙の謎を解くためのツール

対談を通して浮かび上がるのは、Hassabis氏にとってAGI開発は目的ではなく、あくまで手段であるという一貫した姿勢だ。彼の最終的な目標は、AIを使って人類が抱える最も根源的な問いに答えることにある。彼の夢の一つは、酵母のような単純な生物から始め、細胞の働きを丸ごとシミュレートする「Virtual Cell」を構築することだ。AlphaFoldがタンパク質の「静的な」構造を解明したとすれば、AlphaFold 3がタンパク質間の「動的な」相互作用をモデル化し、その先には細胞全体のシミュレーションが見えている。これは、壮大な夢を達成可能なステップに分解するという、彼の科学者としてのアプローチを象徴している。

「生命と無生物の定義、時間の本質、意識、重力、量子力学の奇妙さ。なぜ人々は、こうした大きな謎をもっと気にしないのか、まるで顔の前で叫ばれているようなのに」と彼は語る。Hassabis氏を突き動かすのは、この根源的な知的好奇心であり、DeepMindが生み出す技術はすべて、その壮大な探求の道のりにおけるマイルストーンに過ぎない。彼の視点に立つとき、我々はAI開発競争という短期的な視点から解放され、人類の知性がどこへ向かうのかという、より大きな物語の一部を垣間見ることができるだろう。