Y CombinatorのCEOであるGarry Tanが、数年間の投資家業によるブランクを経て、突如としてビルダー(開発者)の最前線に舞い戻ってきた。
直近数ヶ月で数十万行に及ぶコードをshippingし、GitHubで絶大な人気を集めるオープンソースプロジェクトを生み出した彼の狂気的な生産性は、界隈で少なからず驚きをもって迎えられている。多忙なCEO業務の傍らで彼がこれほどの成果を上げられた理由は明白だ。Claude CodeやCodexといったAIコーディングエージェントを限界まで酷使しているからである。
先日配信されたpodcast「Light Cone」にて、Tan自身がその異常な生産性の裏側と、現代のAI開発における極意を赤裸々に語った。本稿では、彼が提唱する「Tokenmaxxing」の真意と、界隈の注目を集めるリポジトリ「gstack」のアーキテクチャから、単なる「AI活用術」に留まらないソフトウェア開発のパラダイムシフトを読み解く。
Gary’s Listと”Boil the Ocean”哲学
Tanの開発者回帰を決定づけたのは、「Gary’s List」という社会課題に対するリサーチおよびコンテンツ生成プラットフォームの構築である。
教育格差やインフラ問題など、彼が強い問題意識を持つテーマについて、インターネット上のあらゆる記事や議論を収集・分析し、深みのあるジャーナリスティックな長編記事を自動生成する。このシステムの根底にあるのが、彼が「Boil the ocean(海を沸騰させる)」と呼ぶ哲学である。
かつてなら人間のリサーチャーやジャーナリストが数ヶ月かけて何十冊もの本を読み込み、無数のソースをクロスリファレンスしてやっと到達できる深さを、AIエージェントに並列処理させることで力技で実現する。ここでTanが強調するのが「Token maxing」というアプローチだ。
Tokenmaxxingとは、単にAPIを乱れ撃ちして予算を溶かし、無駄にトークンを消費することではない。得られるSignal(信号・価値)を最大化するために、戦略的かつ暴力的にトークンを投入することである。一つのソースに満足せず、20の異なるソースを取得して矛盾点を検証させ、より現実に即した包括的な出力を得る。人間が手作業で行うにはコストが見合わない「徹底的な網羅と深掘り」を、計算資源の投入によって解決する。これがTokenmaxxingの本質である。
gstackと「Conductor Pattern」がもたらす分業制
Tanの開発手法のもう一つの核心は、GitHub上で公開されている彼のリポジトリ「gstack」に見ることができる。
多くの開発者が万能な一つのAIモデル(omni-bot)にすべてのタスクを丸投げしようとして失敗する中、TanはAIエージェントに明確なロール(役割)を与えた。gstackのアーキテクチャには、CEO、デザイナー、Developer Experience担当など、特化したプロンプトを持つ複数のエージェントが存在する。
これを支えるのが、彼自身のワークフローである「Conductor Pattern」だ。複数のAIコーディングセッションを並列で立ち上げ、Tan自身はさながらオーケストラの指揮者(Conductor)としてそれらを統括する。あるエージェントが機能を実装している間に、別のエージェントにバグを修正させ、さらに別のエージェントにアーキテクチャのレビューをさせる。これにより、従来の人間によるシーケンシャルな開発では不可能な、かつての自身の400倍とも称されるコード産出量を実現しているのである。
しかし、生成されるコードが常に完璧なわけではない。Tan自身も、AIが生成したコードをそのままユーザーに提供することの危険性に言及している。80%のユースケースでは動作しても、エッジケースに触れた瞬間に崩壊するような脆いシステムを量産しないためには、テストの徹底が不可欠となる。彼はAIを用いて80〜90%のテストカバレッジを確保し、自動化されたブラウザテストを組み込むことで、この品質保証の問題をクリアしている。開発者の仕事は「コードを書くこと」から、「AIが書いたコードの品質を担保し、全体を統合すること」へと明確にシフトしているのだ。
Personal AIの到来と、決定的な問い
一連のプロセスを通じて浮かび上がるのは、AIが単なる開発補助ツールを越え、個人の能力を極限まで拡張する存在になりつつあるという事実だ。Tanは現在のAI革命を、かつてのパーソナルコンピュータ革命になぞらえている。
かつてHomebrew Computer Clubの面々が木箱に基板を打ち付けてApple Iを作ったように、現在のAI開発も、泥臭くプロンプトを書き、エージェントの挙動を制御する「手探りの熱狂」に包まれている。
ここでTanが投げかける「決定的な問い」がある。「あなたが自分自身のツールをコントロールするのか、それともツールがあなたをコントロールするのか?」
企業によって隠蔽されたブラックボックスなアルゴリズム(例えば、誰の利益になるかもわからないSNSのフィード)に依存するのではなく、自分自身のニーズに基づいてプロンプトを設計し、データを管理し、AIの挙動を完全に掌握すること。Personal AIの真の価値は、その主体性にある。
Claude Codeのような最新のAIツールは、Tanの言葉を借りれば「フェラーリ」である。アクセルを踏み込めば信じられない速度でタスクを処理してくれるが、いざ道端でエンストを起こせば、自らボンネットを開けてレンチで修理するメカニックとしての能力が要求される。AIが生成した出力を盲信せず、人間としての「Taste(センス)」と技術的な理解をもってシステムを導くことができる者だけが、この強大なツールを乗りこなすことができる。
Garry Tanの極端とも言えるTokenmaxxing戦略と開発ワークフローは、来るべきAIネイティブな開発の標準となる可能性が高い。我々は今、人間と機械の知性がかつてない形で協働する時代の入り口に立っている。「What a time to be alive(なんて生きるに値する時代だろう)」。彼のこの言葉は、技術の最前線で泥臭く格闘するすべてのビルダーに対する、最高の賛辞であると言えよう。