Nick Laneの冷徹な熱力学:生命は「必然」だが、我々は「孤独」である

Nick Laneは、生命の起源が熱力学的な必然であり、宇宙には単純生命が溢れている可能性がある一方、知的生命への進化はEndosymbiosisという極めて稀な出来事に依存するため、我々は「孤独」かもしれないと論じている。
Dwarkesh Podcast
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Author

Junichiro Iwasawa

Published

November 30, 2025

Dwarkesh PodcastにおけるNick Laneのインタビューは、我々が生物学の教科書で丸暗記させられた「事実」がいかに奇跡的なバランスの上に成り立っているかを、熱力学という冷徹なレンズを通して再構築する知的興奮に満ちたものだった。

UCL (University College London) の進化生化学者であるLaneは、生命の起源を「神秘的な奇跡」としてではなく、地球の地質学的活動の延長線上にある「化学的な必然」として描く。しかし、その先に待っているのは、Star Trekのような賑やかな宇宙ではなく、バクテリアの粘液(slime)だけが広がる静寂な宇宙という、パラドキシカルな結論だ。

本稿では、彼が提唱する「生命の必然性」と「知性の偶然性」、そしてミトコンドリアという小さな発電所がいかにして性別や寿命、果ては意識まで支配しているかについて分析する。

地球という巨大なバッテリーと、生命の「化学的必然性」

Laneの理論の核心は、生命の誕生において「遺伝情報(RNA/DNA)」よりも「エネルギーフロー」を優先する点にある。

彼は生命の起源を深海のHydrothermal vent(熱水噴出孔)に求める。といっても、黒い煙を吐き出す高温のブラックスモーカーではなく、穏やかなアルカリ性の熱水が湧き出す多孔質の岩石構造だ。当時の酸性(プロトン濃度が高い)の海と、アルカリ性(プロトン濃度が低い)の熱水の間には、自然発生的なProton gradient(プロトン勾配)が存在していた。

これは現代のあらゆる生物がATPを合成するために細胞膜で行っている「化学浸透圧」の仕組みと完全に一致する。つまり、生命が誕生する前から、地球そのものが巨大なバッテリーとして機能しており、そのエネルギー差を利用してCO2と水素が反応し、有機物が合成される下地があったということだ。

Laneによれば、CO2と水素からKrebs Cycle(クエン酸回路)の中間体が生成される反応は、熱力学的に有利(exothermic)であり、適切な触媒さえあれば勝手に進む。これは、水と岩石とCO2が存在する惑星であれば、どこでも起こりうる現象だ。つまり、宇宙において「生命のビルディングブロック」や「原始的な細胞」の誕生は、特別なイベントではなく、物理法則に従った「必然」なのである。天の川銀河だけでも数億個の惑星で、いまこの瞬間も生命の萌芽が生まれている可能性が高い。

「真核細胞」という超えられない壁

しかし、ここでLaneはFermi Paradox(フェルミのパラドックス)に対する残酷な回答を突きつける。

生命の誕生が簡単なら、なぜ宇宙人は攻めてこないのか? その答えは「原核生物(Prokaryotes)」から「真核生物(Eukaryotes)」へのジャンプにある。

地球上の生命史において、バクテリアなどの原核生物は40億年もの間、その基本的な構造を変えていない。彼らは代謝の多様性は極めているが、構造的には単純なままだ。一方で、核やミトコンドリアを持つ複雑な真核細胞が誕生したのは、たった一度きりである。この「Singularity(特異点)」こそが、知的生命体への最大のボトルネックとなっている。

なぜバクテリアは複雑になれないのか。Laneの計算によれば、それは「遺伝子あたりのエネルギー可用性」の問題だ。バクテリアが体を大きくしようとすると、細胞膜(エネルギー生産場所)の表面積と体積の比率が崩れ、巨大なゲノムを維持するエネルギーが賄えなくなる。

この限界を突破した唯一のイベントがEndosymbiosis(細胞内共生)だ。ある古細菌がバクテリアを飲み込み、そのバクテリアが消化されずに細胞内の「発電所(後のミトコンドリア)」として機能し始めた。これにより、宿主細胞はエネルギー生産のアウトソーシングに成功し、余剰エネルギーを膨大なゲノムの管理と複雑な細胞内構造の構築に投資できるようになった。

つまり、宇宙にはバクテリアレベルの生命は溢れかえっているかもしれないが、それを超えて複雑な多細胞生物、ましてや知的生命体へと進化するには、天文学的な確率のEndosymbiosisと、その後の不安定な共生関係の安定化という「奇跡」が必要なのだ。

セックスと死の起源としてのミトコンドリア

Laneの議論はさらに深淵へ進む。我々になぜ「性(Sex)」があるのか、なぜ「男と女」なのかという問いさえも、ミトコンドリアの都合で説明してしまう。

有性生殖の生物において、ミトコンドリアは片親(通常は母親)からのみ遺伝する(Uniparental inheritance)。これはなぜか。もし両親からミトコンドリアを受け継げば、異なる系統のミトコンドリア同士が細胞内でリソースを奪い合う競争が起き、結果として機能不全のミトコンドリアが蔓延するリスクがあるからだ。

また、ミトコンドリアは独自のDNAを持つが、無性生殖では変異が蓄積し、やがて機能不全に陥る(Muller’s ratchet)。これを防ぐために「性」が必要となる。 ここでの「性」の役割は、核DNAの多様性確保だけではない。卵子(大きな配偶子)と精子(小さな配偶子)という非対称なシステムを作り、一方がミトコンドリアの品質を厳格に管理して次世代に伝え、もう一方は遺伝子の運び屋に徹することで、エネルギー生産システムの純度を保っているのだ。

Laneの視点に立てば、男性(およびY Chromosomeの退化)は、ミトコンドリアを次世代に伝えないがゆえに、変異を恐れず急速な成長と競争に特化することを許された存在と言える。逆に女性は、高品質なミトコンドリアを保持し続けるために、成長や代謝において異なる戦略をとらざるを得ない。我々の社会的な性差の根源には、20億年前のバクテリアの合併劇が横たわっている。

意識の正体は生体電場か

インタビューの終盤、Laneはさらに野心的な仮説に触れている。それは「意識(Consciousness)」と「生体電場」の関係だ。

麻酔薬がなぜ効くのか、実は現代科学でも完全には解明されていないが、麻酔薬がミトコンドリアの機能に影響を与えるという研究結果がある。Laneは、ミトコンドリアが生み出す強力な電場(微小な距離で雷並みの電圧がかかっている)が、単なるエネルギー生産以上の役割を果たしている可能性を示唆する。

細胞が自身の代謝状態を統合し、全体として「生きている」という感覚を持つための基盤が、この電場にあるのではないかという仮説だ。もしこれが正しければ、意識はニューロンの複雑なネットワークの発火(ソフトウェア的な現象)だけでなく、細胞レベルでのエネルギー場(ハードウェア的な物理現象)に深く根ざしていることになる。これは「ハード・プロブレム」に対する物理学からのアプローチとして非常に興味深い。

結論:孤独な宇宙で

Nick Laneの世界観は、ある種のニヒリズムと畏敬の念を同時に抱かせる。

我々の存在は、特別な神の意志によるものではなく、岩と水とCO2があれば勝手に転がり出す熱力学的なプロセスの一部に過ぎない。その意味で、生命はありふれている。しかし同時に、その生命が知的レベルに達するには、確率論的にほぼあり得ないようなボトルネックをいくつもくぐり抜ける必要がある。

そういった意味で宇宙探査において我々が期待すべきは「知的文明との遭遇」ではなく、「異星の粘液(Slime)の発見」かもしれない。その粘液の中にさえ、我々と同じプロトン勾配の鼓動が刻まれているとしたら、それはそれで十分に美しい事実ではないだろうか。

Laneが語るように、我々は孤独かもしれないが、その孤独は宇宙の物理法則と深く結びついている。